ジャンル別・国籍別に有名ベーシストと使用機材を紹介
The Beatlesのメロディックベースの革命家。ルート音だけでなく、カウンターメロディとハーモニーを取り入れ、ベースを楽曲の中心に据えた。
Led Zeppelinのハードロック・ヘヴィロックベースの基礎を築いた。キーボード、マンドリン、アレンジャーとしても多才。
The Whoでリードベースのパイオニア。ロータンド・フィンガースタイルで超高速プレイ、ディストーションとラウンドワウンド弦を普及。
Creamでパワートリオベースの原型を確立。ブルース、ジャズ、サイケを融合し、ベースをリードインストゥルメントに。
Rushのベース/ボーカル/キーボード。プログレッシブロックにおけるベースとボーカルの同時演奏を確立。
Joy Division/New Orderで高音域メロディックベースのスタイルを確立。ギターのようなリフ主導のアプローチ。
Red Hot Chili Peppersでスラップ/ファンクロックを確立。アグレッシブなエネルギーとファンク技術の融合。
The Policeでレゲエ/ロック/ジャズ融合。シンプルながら効果的なベースラインとソングライティング。
Queenで数々の象徴的グルーヴを生み出した。Another One Bites the Dustなどファンクインフルエンス。
Pixies/Breedersでオルタナティブロックにおける女性ベーシストのパイオニア。パンクとポップの融合。
Level 42でUKファンクスラップの達人。超高速親指スラップとポップ。
Wrecking Crewで10,000以上のレコーディング参加。女性セッションベーシストのパイオニア。
フレットレスベースの巨匠。D'Angelo、The Who、John Mayer Trio、Paul Simonで活躍。
Steely Danなど数千セッションに参加。R&B、ジャズ、ロックを横断する超一流セッションベーシスト。
Donny Hathaway、George Harrisonなど数千セッションに参加。ソウルとファンクのグルーヴマスター。
Black Sabbathでヘヴィメタルベースの創始者。ダークで重いトーン、オカルト的歌詞も執筆。
Yesでリードベースをプログレに導入。Rickenbacker 4001でコーラスとディストーションを駆使。
King Crimson、Peter Gabrielでチャップマン・スティック、ファンクフィンガーを導入。実験的アプローチ。
Pink Floydでコンセプチュアルな楽曲とベースラインを作曲。作詞家、ビジュアルアーティストとしても象徴的。
King Crimson、Emerson, Lake & Palmerでプログレの初期を確立。ボーカル/ベース/ギターの多才さ。
King Crimson、UK、Asiaでプログレとポップを融合。パワフルなボーカルとベース。
Mr. Big、David Lee Rothでシュレッドベースを確立。2ピックアップ、タッピング、超高速プレイ。
Japanでフレットレス・アートロックベースを確立。独特のメロディラインと音色。
1952年生まれ。もとはギタリストで、林立夫に頼まれてベースへ転向した。サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスなどに参加し、1975年のティン・パン・アレー『キャラメル・ママ』収録「チョッパーズ・ブギ」のスラップが、日本で「チョッパー奏法」という呼び名を広めた。以後は編曲家・作曲家へ軸足を移し、沢田研二「TOKIO」で日本レコード大賞編曲賞を受賞している。
1947年、東京都港区生まれ。1969年エイプリル・フールでデビューし、はっぴいえんどで日本語ロックの礎を築いた。解散後はキャラメル・ママ/ティン・パン・アレーで荒井由実・矢野顕子らのサウンドを支え、1978年に坂本龍一・高橋幸宏とYMOを結成。2008年に芸術選奨文部科学大臣賞、2020年度朝日賞を受賞している。
ダンガン・ブラザース・バンドのメンバーとして1981年にメジャーデビュー。ポップ・ジャズ・ロックをまたぐスタジオ・ミュージシャンとして、井上陽水、桑田佳祐、浜田省吾、福山雅治、aiko、一青窈など膨大なレコーディングとライブに参加してきた。1998年に織田哲郎らとDON'T LOOK BACK、2004年からBank Bandに参加している。
1951年、東京都生まれ。1968年プロデビュー、1973年にチト河内のロックバンド「トランザム」へ加入し、1975年頃からスタジオ・ミュージシャンとして数千曲のレコーディングに参加した。1980年にはゴダイゴの準メンバーとしてベースを担当。ベーシストの集まり「地下室の会=BASSMENT PARTY」の会長も務める。
1949年、東京都生まれ。カルメン・マキ&OZ、スモーキー・メディスンを経て、金子マリ&バックスバニーで1976年にアルバムデビューした。1990年に櫻井哲夫の後任としてカシオペアに加入。チョッパーの名手で、8弦・10弦といった複弦ベースやトレモロアーム付きベースを曲ごとに使い分ける。愛称はナルチョ。東京音楽大学の客員教授。
1954年、大阪市生まれ。1975年、鈴木茂が結成したハックルバックへの加入を機に上京し、ティン・パン・アレー、細野晴臣、大瀧詠一、山下達郎、井上陽水、高中正義、寺尾聰らのレコーディングとツアーに参加した。1983年の「REINCARNATIONツアー」から2012年まで約20年、松任谷由実のライブバンドで数百本のステージに立っている。
1956年、東京生まれ。15歳で高野山にて得度し、高野山大学在学中に音楽と出会って20歳でベースを始めた異色の経歴を持つ。メトロファルス、パール兄弟、渡辺香津美 Resonance Vox、PONTA BOX などに参加し、以後ジャンルを問わないセッション・ベーシストとして活動している。2010年に初のリーダーアルバム『MY COMPLICATED MIND』を発表した。
1954年生まれ、東京都足立区出身。1977年に青山純らとマジカルシティを結成してプロ活動を開始し、1979年に山下達郎と出会って以降、ほぼ全てのレコーディングとライブに参加している。公式サイトによればレコーディング参加曲は2500曲超、ステージは3000本超。プロデューサー、セミナー講師、ラジオDJとしても活動している。
1953年、東京都生まれ。1967年にTHE RAVENS(後の神無月)を結成し1973年にデビュー。1979年のヤマハEAST WESTコンテストに助っ人として参加した子供ばんどで優勝し、翌年に正式加入した。以後、遠藤賢司バンド、フォークロックス、TRIPLE DIAMOND などで活動している。娘はミュージシャンの湯川潮音。
1975年、札幌生まれ。1993年よりベースを始め、EPO、鈴木康博、伊勢正三、小坂忠、鈴木茂らのサポートを務める。センチメンタル・シティ・ロマンスに約20年在籍した。2014年にジェリー・ジェモットの来日ベースクリニックを企画・共演、2018年にはアメリカをツアーしナッシュビルでレコーディングしている。ベース・マガジンで連載を持ち、リットーミュージックから『デイリー・ベース・トレーニング』を出版。日本人男性として初の Estill Voice Training マスタートレーナーでもある。カントリーバンド No Politics ではグランド・ボードとボーカルを担当。
1964年、東京都中野区生まれ。6歳で渡独しミュンヘンのシュタイナー学校で育ち、15歳でミュンヘンの繁華街でプロとして活動を始めた。スティーヴ・ミラー・バンドのジョナサン・カルブのブルース・トリオで世界をツアーし、1989年に帰国。リットーミュージック『ベースマガジン』で連載と取材を担当し、マーカス・ミラー、ロン・カーター、ジョン・エントウィッスル、ヴィクター・ウッテンら多数のベーシストにインタビューしている。NHK『ドイツ語講座』のレギュラーも務めた。T.UTU のバックバンドで FUMI としてベースを担当。ルイス・ジョンソンのバンドでツインベースの一方をオーディションで勝ち取っている。日本語・ドイツ語・英語のトリリンガル。
1954年、オハイオ州デイトン生まれ。1980年代以降のナッシュビルを代表するファーストコールのセッション・ベーシストで、エレキとウッドベースを弾き分ける。リーバ・マッキンタイア、アラン・ジャクソン、ティム・マッグロウ、シャナイア・トゥエインら主要カントリー勢の録音に参加し、90年代以降のナッシュビル録音のベースの基準を作った一人。マーク・ノップラーのソロ全作に参加し、ツアーバンドの正規メンバーでもある。
故人(1928-2011)。ジョニー・キャッシュの最初のバックバンド「Tennessee Two」のベーシスト。ギターのルーサー・パーキンスと組んで、キャッシュの代名詞である boom-chicka-boom サウンドを作った。メンフィスの自動車整備工から独学でベースに転向し、1954年から1980年までキャッシュの録音に参加、同時にツアー・マネージャーも務めている。1960年にドラマーが加わって Tennessee Three となった。
故人(1952頃-2023、71歳)。ハワイ育ちの独学ベーシスト。1980年頃にナッシュビルへ移り、チャーリー・ルーヴィン、ジェリー・リード、チェット・アトキンスらのツアーを渡り歩いた。1992年にジョニー・キャッシュ本人から電話で誘われ、当時未経験だったウッドベースのスラップ奏法を独学で身につけて最後のベーシストとなり、『American Recordings』シリーズにも参加している。後年はダン・アワーバックの Easy Eye Sound のハウス・ベーシストとして500枚以上のアルバムに参加した。
モスクワ出身のベーシスト・コントラバス奏者・ピアニストで、ロシアで最も需要のあるミュージシャンの一人。クラシックピアノからメタル、そしてジャズへ進み、ジャズ・フュージョン・エスノジャズ・ロックを横断して活動している。自身のプロジェクトを率いる一方、Gergo Borlai や Guthrie Govan ら海外のフュージョン勢を自費でロシア各地へ招いてツアーを組んできたことでも知られる。
1980年サンパウロ生まれ。13歳で学校のバンドのためにベースを始め、20歳でパワーメタル・バンド Angra に加入した。Angra では『Rebirth』(2001)から『Cycles of Pain』(2023)まで録音し、Kiko Loureiro のソロやインスト・バンド 4Action でも活動している。2022年には Sons of Apollo の南米ツアーで Billy Sheehan の代役を務めた。
1962年、ハリスコ州グアダラハラ生まれ。10歳でベースを始め、16歳だった1978年に Sombrero Verde に参加し、そのバンドが1986年に Maná となった。Fher Olvera とともに唯一のオリジナルメンバーとして現在も在籍している。Maná はグラミー賞4回・ラテングラミー賞9回などを受賞した、ラテン音楽で最も成功したバンドの一つ。
メキシコシティ出身。1990年代に Kenny y los Eléctricos やタリアらのバンドで演奏したのち、1996年に Molotov へ加入した。Molotov はメンバーが曲ごとに楽器を交換するバンドで、Micky Huidobro とともにベーシストが2人いる編成をとる。ラテングラミー賞を複数回受賞し、アルバム総売上は全世界400万枚を超える。